妊娠と出産

第1子の妊娠と出産 突然の子宮内胎児死亡から原因を考察

プレドニンの治療から2年が過ぎ、プレドニンの服用量が8ミリとなったころに第一子の妊娠が分かりました。甲状腺機能・多発性筋炎ともに安定していました。

服用中の薬

朝:ロカルトロール1・セルベックス1・プレドニン8mg


妊娠が分かってすぐに、胎児への影響を避けるためロカルトロールとセルベックスは中止に。ここからはプレドニン8mgのみとなります。

膠原病患者の妊娠

甲状腺疾患検査と不育症検査

結果:甲状腺機能は正常だが、抗甲状腺抗体が陽性の為、今後以上に転ずることがあります。出産後3~6か月で再度検査すること。
不育症検査(抗リン脂質抗体セット):正常

私の場合、多発性筋炎という基礎疾患のある妊婦ということで「ハイリスク妊婦」に値します。基礎疾患のある妊婦は、その疾患に伴って起こりやすい危険因子を前もって把握し、防ぐために行った方が良い検査があります。私の場合、当時は安定していたので特に治療はしていませんでしたが、甲状腺機能にもリスクを抱えているため、甲状腺疾患検査も行い、こちらのほうは様子を見るだけで問題ないという結果に。また、自己免疫疾患・膠原病患者が妊娠した際に受けておいたほうが良いのは不育症の検査。これは保険が効かず自己負担なので当時3万くらいかかったのですが、それでも受けた方が良いと主治医から勧められ、私も当然のように受けました。この不育症検査というのは、具体的には抗リン脂質症候群の検査。血液検査で分かります。抗リン脂質症候群は膠原病のひとつで様々な部位に血栓を引き起こしてしまう病気。妊婦の場合、これが原因で子宮内胎児死亡が起こる可能性があるため、この検査で異常値が見られた場合には、血栓を防ぐ薬を使用することになります。また、不育症と言うのは、妊娠はするけれどもその後胎児が育たないというのが不育症です。不育症にも妊娠初期の段階で胎児が育たず流産してしまうケースと、妊娠中期頃まで順調に育ち、中期以降~後期に子宮内で死亡してしまうケースがあります。膠原病患者の場合、このような不育症が起こるリスクも通常より高くなるということで念のため検査を受けましたが、私は結果「正常」ということで治療には至りませんでした。

妊娠初期の症状

順調・つわりもあまりひどくない

妊娠中期の症状

・26週頃、黄緑色っぽい膿のようなおりものが下着にいっぱい広がるくらい出てびっくりすることが1度あり、主治医に伝えたがその後全く無くなったため、特別な処置はせず様子を見ることとなる。
・ちょうど花粉症の時期だったからか、鼻血まじりの鼻水・喉が渇く・のどの痛みなどあり
・内科の血液検査で炎症反応がある。小さな炎症反応なので特別な処置はせず様子を見ることとなる。
・少し胎児の大きさが正常範囲だが小さめだと感じるようになる

妊娠後期の症状

・主治医より胎児の大きさが小さめだと言われるが、その他胎児の状態に問題視する事項は無い。
・おなかの張り・少々の痛みを感じることが多い
・胎動が少なくなる

突然の子宮内胎児死亡

妊娠9か月34週も終わりというころ、胎動が感じられない、お腹が張って少し痛みがある、ゆっくり休息していても症状が変わらない、そんな状態に「すぐに病院へ行かなければ」そう思って夜緊急で行った病院にて「胎児の心臓が止まっています」と子宮内胎児死亡を宣告される。早く胎児を出産しなければ、母体が危険と言われ、死亡している胎児を出産するという現実に、世の中にこんなに残酷なことがあるのかと絶望に脳内の思考が停止状態に陥ったことを記憶している。

その後翌日出産できるよう準備が進められた。子宮口を広げる処置を開始→翌朝陣痛促進剤を開始→3時間程度で普通分娩にて出産

妊娠34週5日

性別:男の子 体重1680g 身長43cm 胸囲25cm 頭囲27.5cm

産後翌日には、胸の張りがパンパンになって痛くなった。とにかく冷やして我慢するしかない。産後7日位ですっかり良くなる。
悪露:産後5~7日でだいぶ落ち着き、8日目で生理2日目程度の量、11日目には少量となり、14日目にはほとんど出ない状態

出産には多くの危険が生じ、陣痛というこれまで味わったことのない大きな痛みを伴います。それでも、これから可愛い我が子に出会える、ともに生きていくという喜び・期待を胸に想像以上の力が発揮され、その痛みに耐え、頑張ることができます。けれども、もう産声を上げることのできない我が子を、あの陣痛の痛みに耐えて通常出産をするのは本当に辛いです。けれども、この残酷すぎる出来事は、その後私の宝物2人の妊娠と出産を無事に成功させるための支えとなり、その後の子育て・生き方を変えてくれたと思います。

私の場合、妊娠時にこのようなことが起きないように不育症の検査を行いました。その結果不育症には値せず、問題なかったはずなのです。けれども結果的に子宮内胎児死亡が起きてしまいました。しかも中期までは何の兆候もなく翌月には出産というその時期にです。私はこの悲しみをこのまま時の流れに任せて薄れていくのをただ待つということは出来ませんでした。もう二度とこのような思いをしたくない、亡くなった我が子の死を無駄にしてはならない、その思いから、なぜこのような事が起きたのか、その前に何か兆候が無かったのかを調べることにしました。

まず、子宮内胎児死亡が起こった手がかりになるであろう胎盤の状態を病理検査してもらうことにした。

病理組織診断報告

病理組織診断報告より

胎盤14×14×2.2cm大。重量452g。妊娠週数相当の胎盤重量と大きさ。
胎盤の絨毛膜には5.5×4cm大までの水泡が多発している。羊膜間の拡張による水泡。
胎盤母体面に血種は認めない。
組織学的に絨毛膜から羊膜にかけて好中球を主体とする高度の炎症細胞浸潤を認める(ステージ3)。
胎盤は全体の80%が梗塞に陥っている。本幹動脈の閉塞が示唆される。絨毛間間質内のフィブリン沈着も伴っている。
胎盤の石灰化が目立つ。
臍帯血管の数的異常、臍帯結節をはじめとする器質的な病態は認めない。

この胎盤の病理検査でとんでもないことが分かった。私の胎盤は、80%が梗塞状態・石灰化していたということ。通常胎盤は全体がつやのあるピンク色だといいます。けれども私の場合全体が白っぽい状態だったそう。これでは、胎児へ栄養を問題なく届けることができないのは当然です。また、絨毛膜の炎症が起きていたことが分かり、ステージ3というとても重度な状態が確認された。ここで、私は妊娠中期から起こり始めていた不調を思い出した。

妊娠中期から起こり始めていた不調

・26週頃、黄緑色っぽい膿のようなおりものが下着にいっぱい広がるくらい出てびっくりすることが1度あり、主治医に伝えたがその後全く無くなったため、特別な処置はせず様子を見ることとなる。
・内科の血液検査で炎症反応がある。小さな炎症反応なので特別な処置はせず様子を見ることとなる。
・少し胎児の大きさが正常範囲だが小さめだと感じるようになる

ここにある「内科の血液検査で炎症反応」というのが気になる。小さな炎症反応だったため、様子を見ることになったが、炎症反応はひどい風邪のあとや体のどこかで炎症部位がある、重度の花粉症症状などでも出る。私の場合、この時花粉症になっていたために、おそらくそのせいだろうと言われて納得していた。けれども後から思えば、例年花粉症の時期でも炎症反応が出ることは無い。また、自分の身に覚えのある体のどこにも炎症部位は無く、ひどい風邪を引いていたわけでもない。そうなるとこれは、「絨毛膜の炎症」などそれらに関連するものだったのではないだろうか。まだ指摘されるようなことはなかったが、中期までは胎児の大きさが平均的だったにも関わらず、中期以降から胎児の大きさが平均よりも小さめになってきている。これは、絨毛膜の炎症により胎盤の石灰化が起こり始め、胎児に影響が出始めていたのではと考えられる。もしもこの時、疑うことができていたら、我が子を助けることができたかもしれない。

メモ

産科
・少し胎児の大きさが正常範囲だが小さめだと感じるようになる
内科
・血液検査で少々の炎症反応がある


小さな不安材料がそれぞれの科であったわけだが、小さな問題点は通常「様子をみる」ことになる。また、特別問題が出ない限りそれぞれの科が連携をとって話し合うようなことはない。これが問題。内科は多発性筋炎の状態が安定しているので2か月に1回しか検査受診しない。小さな炎症反応から次回の検査まで2か月。その間に今回の子宮内胎児死亡が起こった。もしかしたら、もっとその直前に血液検査を行っていたら、さらに炎症反応が進んでいた可能性もある。だからこそ、ここですべきは絨毛膜の検査だったと思う。「胎児の大きさも少し小さめだし、炎症反応があるから絨毛膜の検査をしてほしい」と考えるのが安全策といえる。何が正しいかは分からないが、結局特別問題視する段階でない場合、医師は様子を見るという選択をするわけだが、いつ何が起きるか分からない妊娠・出産においては、自分が不安に思う以上、念のため検査をしてもらうことが大切だと思う。
また、後期になるにつれて、正常範囲ではあるけれども小さめであることは顕著になってきていたし、胎動も少なくなってきていたといえる。これは、第2子以降の妊娠があったことでそれらと比べて気づいたことである。初めての妊娠は何が普通か、基準がわかりません。明らかに状態が変化しない限り、自分の状態が変だとは気づかないことがあります。私も自分が感じている胎動が少ないとは思っていませんでした。でも、第2子以降の妊娠と比べると明らかにこの妊娠での胎動は少なかったと思います。後期に向けて胎児が大きくなってくると胎動が少なくなってくるようなことを言われることもあるかと思いますが、実際第2子以降の妊娠では、出産直前まで良く動いていることを確実に意識出来ました。お腹の張りについても同様で、「よくあること」なのですが、安静をとって張り止めを飲むなどそれに対する処置をきちんとしてこそ大丈夫なのだと思います。私の場合、ほぼお腹が張っているような感じでしたが、痛みが無い限りそれほど問題視していなかったのが問題で、張り止め薬も服用していませんでした。今思えば、自分に起きていることが「普通」と思い込んでしまっていたこと、問題視できなかったことが問題だったと思っています。

  • この記事を書いた人

omima

20歳でバセドウ病発症。24歳で膠原病の多発性筋炎を発症。その後の入院・検査内容・病状・薬・妊娠・出産についてなど15年以上にわたる全てを公開。発症した時の病状のつらさ、これからどうなっていくのだろうという不安、ハイリスク妊娠と出産、さまざまな思いで見てくださる方の、何らかのきっかけや支えになることを願ってこのブログを運営しています。そしてなお、「私には病気を治す力がある!」と日々頑張っているおばさんです。 その他の運営サイト:チラシデザインのコツと作り方

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