健康 子育てをしていたら自分自身も一緒に育っていた話

何とかなるもんだ

多発性筋炎だと診断をされた時
第一子の死産の時

いったい何なんだろう…って
何で自分はこんなわけも分からないようなことが起こるんだろう、と思いました。
私は今、罰を受けているんだろうか、と。

さぞかし不幸そうに
暗い部屋でふさぎ込んで布団の中から出てこない
そんな日々だったろう…なんて思い返すと

気づいたことは
私には、一日も、そんな日が無かったということです。

もちろん心には、様々な思いを抱え、ふとしたことで涙があふれ出たり
とても不安定に見えたかもしれません。
けれども、それでも毎日、いつもどおりの生活をしていたことが
結局は自分を元気にするきっかけとなっていたような気がしています。

そう考えると、主人には感謝ですね。
もともと家事は一切やらない主人ですが
私の退院後も同様、
無理しないんだよ、などといたわりの言葉はたくさんもらいましたが
一切の家事のサポートはありませんでした(笑)
けれども今振り返って考えて見ますと
私にはそれがとても良かったことのように思えます。
病気になったから
不幸があったから
と、だからしばらくゆっくりしていればいいんだよと
何か心に制限をかけて過ごすよりも
まるで何事も無かったかのように
またいつもの朝がきたって感じで
本当に普通に過ごしていたことで
心もいつのまにかそこに追いついていく

人それぞれ、立ち直り方も人それぞれなんだろうと思いますが
心の疲れは、疲れたからもう何もせず休もう…というよりは
朝起きて、3食食べて、やるべきことをきちんとやって、しっかり寝る
この生活の基本を、
そう言う時こそ確実にやることが良かったりするのではと、
私自身の実感としてはそう思っています。
もちろん、そこまでの元気が出ないこともあります。
そんな時は、誰かの力を借りるわけです。
普通の生活をするってことを前提に
普通の生活をするにはどうしたらいいかって逆の発想で。
難しい部分を助けてもらえばいいのです。
不思議ですが、「平常」は、非常な心をいつの間にか癒していきます。

ただ、それは
辛いなぁっていうのを隠して元気なふりをするっていうわけではありません。
辛いなぁ、だから何もしなくていいっていう思考を無くすってことです。
辛くてもいいのです。誰でも辛いことはありますから。
辛くても、そのままでいいので、
誰かに助けてもらいながら
ただ普通の生活をしようってことです。

娘が、学校で嫌なことが合って
今日はもう学校休みたいって日も
部屋に閉じこもって一日過ごしても
あまり元気になれない気がします。
だから、朝から今日は宿題終わらせたら
お昼は美味しいものでも食べに行って遊んで来よう!
なんて声をかけると
あっという間に宿題を終えて
可愛いお洋服にお着替えをして
ママ行こう!って既に笑顔は取り戻せていたりします。
勿論、肉体的な疲労なら、
早めにしっかりと体を休めることが何より大切だと思います。
けれども心の疲れなら、
案外、元気に過ごすことで
早く元に戻れたりすることもあるのではないでしょうか。

  • この記事を書いた人

omima

20歳でバセドウ病発症。24歳で膠原病の多発性筋炎を発症。その後の入院・検査内容・病状・薬・妊娠・出産についてなど15年以上にわたる全てを公開。発症した時の病状のつらさ、これからどうなっていくのだろうという不安、ハイリスク妊娠と出産、さまざまな思いで見てくださる方の、何らかのきっかけや支えになることを願ってこのブログを運営しています。そしてなお、「私には病気を治す力がある!」と日々頑張っているおばさんです。 その他の運営サイト:チラシデザインのコツと作り方

-健康, 子育てをしていたら自分自身も一緒に育っていた話
-

© 2024 膠原病とバセドウ病になりまして。