他人と比べてしまう自分

子どもが生まれた時から、いやいや自分が生きてきたこれまでもだけれど、何かにつけて他人と比べてしまう自分がいました。

  • 容姿
  • 寝つき
  • 食べっぷり
  • 発語の量
  • 運動能力
  • 積極性
  • 協調性
  • 声の大きさ
  • 習い事
  • 芸術的センス
  • 器用さ
  • 学習の評価点
  • 文字の美しさ

などなど、比べる材料は限りなくあります。他の子と比べて自分の子の方が勝っていると感じると、とても誇らしい気持ちになり、その逆だと悔しい気持ちでいっぱいになる。そんな時期もありました。何か他の子よりもできないことがあると、「なぜなのだろう」と考える。もう少し自分がこうしたら変わるのではないかと試行錯誤をし、変わらないとどこか苛立ちの心を持ってしまう。そして自分に対し、苛立ちの心を持っている母に、子供はきちんと気づく。

長女が1歳を過ぎた頃、私の中で、彼女の発語の数が自分の思う到達点に達していませんでした。一緒に過ごしていると、私が言うことをとても良く理解している、ということは確実に感じていました。けれどもその割に、あまり言葉が出てこないのです。私はふと、自分の幼少期について母が話していたことを思い出しました。「あなたは、本当は凄くおしゃべりが出来るのに、あまり話さない子だった」と。そして、長女はその頃の自分に似た事象が起きている、と気づきました。私は長女が生まれた時、心に一つ、決意していたことがありました。自分はどこか心が不健康だとずっと感じていましたから、とにかく心の健康が第一であるという思いを強く持っていました。そして、今長女に起きている事象から、自分はその思いを実現させるための行動が出来ていないのだと気付きました。

そのことに気付いた私は、さまざまな育児書や心理学関連の本を読み、そこでひとつ、とてもシンプルな気付きを得ました。~すると子供がこう変わるとか、子供には~させた方が良いとか、世の中さまざまな育児法があり、それらを目にするたびに、自分もそうしてみようかとか翻弄されていく。けれども、それらは全て方法は違えど、同じことを言っている気がしてきました。

自分の目の前にいる、我が子をよく見て、理解をし、共感をし、そんなあなたを私はとても大好きだよと、伝える。

そんなシンプルなことが、自分はきちんとできていなかったのだと思いました。彼女が今、何を思っているのか、何を感じているのか…それよりも、私は自分がしてあげたい事、自分が教えたい事ばかり彼女に話していたのではないかと思いました。そう確信したのがちょうど彼女が1歳半の頃。私には、その後一切の迷いが無くなりました。彼女と過ごす毎日、彼女が見ているものに気付き、「あれは〇〇だね」という。彼女の表情を見て、「びっくりしたね」「面白いね!」「嬉しいね」「楽しいね」「悲しかったね」と共感する。私はいつもあなたに協力したいと思っているよというメッセージ、私はいつもあなたが大好きだよというメッセージを伝え続けること。ただそれだけを思い、もうその他の事は何も考えませんでした。彼女はみるみる変わっていきました。ほんの3か月程度のちには、彼女は2語文を話していました。とてもいきいきと、様々なことに挑戦できるようになっていきました。私に、大切なことを気付かせてくれたエピソードのひとつです。

長女が中学生になり、次女が小学生になり、私もだいぶ子供たちを客観視できるようになってきました。
好きなこと、得意なこと、嫌いなこと、苦手なこと、容姿などの見た目、脳レベルでの感じ方、成長の順番や到達度、全てが違い、全く別なものだから、他者と比べるということは、そこに優劣は無く、他者との違いを発見することに過ぎない。

他者と比べるのであれば、他者との違いを知り、そこに自分の素晴らしい要素があることに気付けるといいですね。
自分の素晴らしい要素に気付き、それがとても素敵なことだと気付くと、自分が好きになれる気がします。
すると他者の成功や賞賛を、うらやむ気持ちも無くなるもの。
自分は何を見ている時、嬉しい気持ちになるのか、自分は何をしていると心が穏やかになったり、躍りだしたりするのか、
自分の本当に好きなものに気付くと、人のものをうらやむことなどに気を向けなくなってくる気がします。
それを手にしても、自分は満足しないことに気付けるからです。

自分をもっとよく見にゃぁいかん、、、毎日脱線してはまた、そんなふうに思います。

  • B!