私が病気になった理由

自分がなぜ、病気になったのだろうと、膠原病だと診断を受けてから度々考えることがあります。20歳の時、バセドウ病だと診断された時には、私はほとんど病気について深く考えていなかったような気がします。ただ、私はこの会社のせいで、ストレスで病気になったんだと。実際に病院での診断時も、原因がはっきりと分からない病気であり、「ストレス」「疲労」など様々な要因が重なったことによるものだろうと考えられています、と説明を受けました。バセドウ病になったとき、初めての就職で、様々なストレスを感じる場面に遭遇し、私はそのストレスを処理しきれなくなっていたのだと思います。けれども、今考えるとそれくらいの出来事は人と関わる以上当たり前の事ばかりで、誰もが日々同じように遭遇している事柄であっただろうと思います。今思えば、その時の私はただ、ストレスに対する対処法を全く身に着けていなかったのでしょう。そして病気になったことは自らに起因するものでなく、外部から受ける様々な負の要素が原因だと思い込んでいたのです。

原因が分かっていない病気の場合、一般的に「ストレス」や「疲労」など様々な負の事柄が重なったため、と言われます。実際に私が病気を発症した当時、バセドウ病の時も多発性筋炎の時も、人間関係などによる「ストレス」、そして寝不足など不摂生による「疲労」、の両方を感じていた時期だったことは確かです。けれども、過去の自分、そして過去の出来事を客観的に今思い返してみると、はたしてそんなに大そうな、ストレス要素があっただろうかと思うのです。

学生から社会人になり、そのころに自分が負の要素だと感じていた事柄を書き出してみました。

  • 朝9時出勤のため、1時間を要する通勤時間に合わせて毎朝6時半に起床
  • 満員電車に乗ること
  • 入社直後の慣れない人とのコミュニケーション
  • 上司からの服装などに関しての干渉
  • 入社直後は他部署を経験しておく必要があり、一定期間各他部署に出向しての業務で内容が苦手な事柄も多い

こうして20年以上経った今、客観的に思い返してみると、これらのことは社会に出たら皆当たり前にあることばかりですよね。特別なことなど何もなかったと思います。まさしく私はこの当たり前の事を自分にとって負の要素だと決めつけ、必要以上にストレスと感じ注目しすぎていたのです。そして、どうしたらストレスに感じている事柄をプラスに転じていけるだろう、少しでも楽しい時間に変えていけるだろう、というようなポジティブな感情は一切持つすべなく、いつも「その状況から逃げたい」「どうしたら逃げられるだろう」と考えていました。自分が感じていたこれらのストレスは、自らがストレスを過大に作り上げたその思考そのものだったのだと思います。ここでもしも、その頃の自分に伝えることが出来るなら、「自分を取り巻く人間関係や環境をリセットしても、自分自身の思考が変わらなければ何も変わらない」と伝えたいですね、、、

その後、私は何度も転職をし、人間関係や環境のリセットを繰り返しましたが、私はいつの時も、「自分は無理をしている感」を持っていました。なりたい自分・満足のいく自分ではない、どこか劣等感でいっぱいの、自分を好きになれない人間だったのでしょう。けれども一方で、私は「あんなことがしてみたい、やってみよう!」というようなポジティブな思考はいつも持っていて、それを実現させるために努力をすることも楽しめるタイプではありました。ですがいつも、根底にある自己肯定感の低さが邪魔をするのです。「やってみよう」とすぐに動き出すことが出来るのですが、それは自分一人で実現させる範囲のことでとどまってしまうのです。挑戦してみたいことがあった時、何も考えず吸収できそうな環境に飛び込み、身をおくことが出来れば、私は今頃また違った自分を知ることが出来たことでしょう。けれども当時の私は、挑戦してみたいことがあったとき、ある程度の段階まで独学をして知識や技術を得、それがどれくらい通用するのか試してみるために新しい場所に身をおく、というようなことが常でした。困難にも周囲の方々に助けを求めきれず、いつも自分で解決しようとしていました。努力を惜しまず多少難しいことでも挑戦しようとする姿勢はあるのですが、誰かに教えを乞うて育っていくというようなことを楽しめるような思考を持ち合わせていなかったのです。一方でそういった自己解決のクセは、独学力という面では功を奏し、自己解決を図ったからこそ得た知識が、何かと貢献できることが多く、頼ってもらうことで自分自身の価値を感じていた部分もありました。

けれども、疲れてしまうのです。きっと誰もが同じように、良いことも辛いこともさまざまな感情に揺れ動かされながら生きていることは同じなのに。そしてたぶんそれは、ありのままの自分をどこにも出せずにいたからだったんだろうな、と今は思います。何となく自分は、「ちゃんとやっていけてるよ!うまくやっていけてるよ!」と、思われていたい一心だったのでしょう。そう思われていたい心が邪魔をして、誰にも話さず、ギリギリのところで何とかやっていたものの、やっていけない状況になるところで「うまくやれなくても仕方がない状況」を作るために病気になった、つまり「自分で病気を作り出した」、今はそう感じています。

結婚をしてすぐに発症した多発性筋炎。この時もそう。

  • 当時はまだぎりぎりの家計状況だったため、自分も頑張って稼がなくてはと躍起になっていた。
  • 家事も自分一人で全て完璧にこなそうとしていた。
  • 夫にも、両親にも、友達にも、誰にも、弱音を吐かなかった。

そしてある日突然、朝起きて起き上がろうとしても、足も腕も筋肉が固くなり、起き上がることが出来なかったのです。

バセドウ病になったときも、多発性筋炎になったときも、私は病気になることを選び、「うまくやれなくても仕方がない状況」「休んでもいいよという状況」を得るために、自ら病気を作り出したのでしょう。そしてその後もずっとそう。何かあると、「病気があるから仕方がない。病気があるからこの選択をする」というように、私は病気を「様々なことに対する上手くいかない部分の言い訳」、「挑戦してみたいことが出来ないことへの言い訳」の材料にしていたのではないか、と今は感じています。

発症当初、入院した時に、「膠原病が治った」と話す方に出会ったことがあります。
膠原病の診断を受けたばかりで、さぞ落ち込んでいるのだろう、と私を気遣ってくれたのでしょう。そのご婦人はおっしゃいました。
「膠原病は原因も分からず突然発症するけれど、これまた原因分からず突然治ることがあるのよ」と。「だから一生付き合う病気だと思わないでね」と。

そして今現在の私には、「病気」は必要ない。
だからきっと治る、そう思っています。

  • B!