妊娠と出産

第3子の妊娠と出産 子宮内胎児死亡の予防と低体重児出産

第3子の妊娠

2013年、第3子の妊娠が分かりました。長女出産から5年が過ぎたころです。甲状腺機能・多発性筋炎ともに安定していました。

服用中の薬

朝:ロカルトロール1・セルベックス1・プレドニン8mg

妊娠が分かってすぐに、胎児への影響を避けるためロカルトロールとセルベックスは中止に。ここからはプレドニン8mgのみとなります。

甲状腺疾患検査と不育症検査

結果:甲状腺機能は正常だが、抗甲状腺抗体が陽性の為、今後以上に転ずることがあります。出産後3~6か月で再度検査すること。
不育症検査(抗リン脂質抗体セット):正常

今回もまた、妊娠が分かったと同時に不育症の検査を行いました。結果、今回も「正常」でしたが、第1子が子宮内胎児死亡で9か月の時に亡くなってしまったことをふまえ、第2子妊娠時は予防的に抗凝固療法を行ったことで無事に出産することが出来ました。そして第3子についても、主治医とともに話し合い、今回の妊娠・出産を次のようにしました。

  1. 予防的に抗凝固療法を行う
    不育症の検査では正常だけれども、結果として第1子が死産となってしまった。原因は胎盤の80%が梗塞状態だったということ。とにかくこれを防ぐため、抗凝固療法を予防的に行おうという試み。第2子の時は妊娠が分かってからすぐに「バイアスピリン」の服用を開始。また、張り止めの「ウテメリン錠」も張りを感じたときにすぐに服用。「ヘパリン」自己注射を33週から行った。その結果胎盤梗塞は何も治療をしないときの80%から30%まで軽減することができた。赤ちゃんは低体重でしたが、その他発達上の問題なども全くなく無事に出産することができました。ですが、それでも30%の梗塞が起こり、赤ちゃんが低体重になったこと、今回は私の年齢も上がり長女がいることで十分な休息・安静が難しいこともあり、前回よりもさらに注意が必要とし、妊娠が分かってからすぐに「バイアスピリン」の服用(31週まで)・ヘパリン自己注射を開始。また、張り止めの「ウテメリン錠」も張りを感じたときにすぐに服用。
  2. 37週0日で出産
    第1子は34週で突然の死産となったため、胎盤梗塞の危険と赤ちゃんの安全を考慮し、赤ちゃんがもう生まれても問題のない成長段階となる正期産に入る37週0日に出産を予定。前日に子宮口を開く処置をし、当日の午前9時より陣痛促進剤により陣痛を起こし、普通分娩の予定で、今回は前日から入院することとした。
  3. おりものなどが多いなど心配な場合は、絨毛膜の培養検査を行う。
  4. 出来るだけ安静を心掛け、よく休息をとること

妊娠初期の症状

順調・つわりもあまりひどくない
9週の時、昼過ぎから生理のような出血があり、緊急で病院へ行き診察をしてもらうが、胎児の状態に問題はなく、張り止めのウメテリン・止血作用の薬を処方してもらい、夜には出血が無くなり、トイレで拭いたときに少量の血が付く程度となった。以後同じようなことは無かった。バイアスピリンを飲んでいることも影響しているのでは、ということだったがそれ以上は分からない。第2子の妊娠時も10週で同様のことがあったため、どうやらこの時期に起こりやすい何かがあるようだ。
時折急にめまいの兆候があり、気持ちが悪くなったりする
立ちくらみが多い。
時々お腹がチクチクと痛む

妊娠中期の症状

張りを感じやすい。24週で逆子になっていた。26週検診時、けい管の長さが22mmと短くなっているということで早産になりやすいのでできるだけ安静にとのこと。張り止めの薬を持続的に飲むことになりました。

妊娠後期の症状

・胎児の大きさは正常範囲だが小さめ。その他胎児の状態に問題視する事項は無い。
・おなかの張り・下腹部がキリキリチクチク痛みを感じることが多い。
・おりものの量が増えてきた。→培養検査エラスターゼを行うが異常なし
・食後に気分が悪くなる
・バルトリン腺膿瘍を中期から4、5回繰り返しました。
・30週で逆子が治りました。

今回の妊娠中では、長女がいるのでやはり入院の前日まであまり安静にすることは出来ませんでした。

出産予定日前日の夕方に入院、すぐに24時間腹部の張り具合をチェック。その時点でだいぶお腹の張りがあり、ごく軽い陣痛が起きているような状態でした。出産当日、朝9時ごろから陣痛促進剤を始め、それからすぐに事態が急変した。陣痛促進剤を開始してすぐに、赤ちゃんの心拍が弱くなる現象が起こった。緊急事態に陣痛促進剤の投与をすぐに中止。すると間もなくに赤ちゃんの心拍が正常化した。少し様子を見たのち、再び陣痛促進剤を開始した。するとやはりまた赤ちゃんの心拍が弱くなった。この事態に、今回赤ちゃんの安全のため、陣痛促進剤を使用しないことに。自然に陣痛が進まず当日出産が難しいと判断した場合には帝王切開をすることとなった。だが、奇跡的にもその後陣痛は順調に進んで行き、午後3時、分娩室に入り8分後に赤ちゃんの元気な産声を聞くことができた。

赤ちゃんの状態

37週0日。普通分娩。6時間32分。出血量は少量。産後3日目には母乳の分泌があり良好。先天性検査などその他の異常もなし。
女の子 体重2155g 身長45.9cm 胸囲27.2cm 頭囲31.4cm

体重が2300g以下の場合、NICへ入院し経過観察をしながら体重を増やすことになる。2300g以上になり、哺乳力が十分にあれば退院となる。NIC入院中においても定期的に母乳を与えることは可能。退院は私の退院から2週間後になった。

退院時体重2324g 完全母乳。

病理組織診断報告書

病理組織診断報告より

胎盤は262g、155×135×20mmで週齢に比し未熟。割面は、淡血色で血液成分が疎で白色結節を散見。この白色結節部は梗塞を認め、胎盤全体には多くの梗塞巣が散在。新旧様々な梗塞が混在し、硝子化、出血、石灰化を伴っている。絨毛にはうっ血及び胎盤血管腫を認める。
全体に梗塞の強い胎盤で、約40%近くが梗塞領域です。重量も週齢に比し軽く、何らかの循環障害性変化が加わっていると考えられる。

今回も前回同様、出産後胎盤の病理検査を依頼した。結果やはり胎盤梗塞状態であった。梗塞範囲は長女の時は約30%、今回は約40%だった。胎盤の重量も通常なら420g程度あるのが一般的なのだが、262gとかなり小さな胎盤。今回は妊娠発覚時から抗凝固療法を予防的に行っていたので、少しショックな結果だった。前回よりも胎盤の状態は良いものになると思っていたが、この結果を見ると、かなり悪い結果。妊娠発覚時から抗凝固療法を行ってもこの結果になってしまったのだ。なぜなのか、長女の時の状況との明らかな違いを考えてみた。

第3子の胎盤病理検査から考えたこと・長女の時の状況との明らかな違い

  • 妊娠中を通して安静に出来なかった
    これは全く長女の時とは違い、長女の時は本当に家事・買い物など必要最低限のことしか動いていなかったが、今回は長女の幼稚園の送り迎え、長女に付き合って毎日公園に行き、長時間立ったままということも多かった。
  • あまり体重が増えないように注意していた
    長女の時は、まわりも「妊婦なんだから2人分食べな」みたいな感じがあったので自然とたくさん食べてしまっていたようなところがあって体重も9kg増でした。一方今回は、他の病気にならないよう注意するためにも、良く動いていたにも関わらず、本当に通常通り食べていただけでおやつなども食べていなかったので体重は4kg増でした。出産後には体重が元に戻ってしまったほどです。

上記2点についてが原因なのかは全く分からないが、胎盤の状態の悪化・赤ちゃんの体重へ多少なりとも影響を与えていた可能性があると考える。胎盤梗塞を起こしやすい妊婦は、これらについても万全を期して注意すべきですね。

その後の成長記録

生後1か月2900g→生後2か月4100g→生後4か月5150g→生後7か月6005g→生後10か月6460g→生後12か月7260g→1歳6か月8140g→3歳12.3kg
首のすわり:3か月 寝返り:4か月 おすわり:6か月 はいはい・つかまり立ち:7か月 伝い歩き:8か月 一人歩き:10か月 離乳:1歳6か月

終わりに

離乳完了後、ロカルトロールとセルベックスを再開。

なお、小児科の先生より、私に甲状腺機能の既往があるため、子供が中学生以上になるころから、甲状腺機能の変化を少し気にするようにして、何か異変を感じるときには早めに対処できるよう受診するように言われました。甲状腺機能の抗体、いわゆるタネのようなものは遺伝する為、それがあると必ず発症するわけではないが、条件が揃えば発症しやすい体質にあるということなので、注意してあげたいものです。私の家族の病歴を見ても、バセドウ病は母と兄も発症しています。私は20歳のとき、兄は30歳、母は49歳と発症時期は様々ですが、ストレスを抱えやすいなど性格や生活習慣なども似ているとやはり発症しやすいのだと思います。

  • この記事を書いた人

omima

20歳でバセドウ病発症。24歳で膠原病の多発性筋炎を発症。その後の入院・検査内容・病状・薬・妊娠・出産についてなど20年以上にわたる全てを公開。発症した時の病状のつらさ、これからどうなっていくのだろうという不安、ハイリスク妊娠と出産、さまざまな思いで見てくださる方の、何らかのきっかけや支えになることを願ってこのブログを運営しています。そして現在も「私には病気を治す力がある!」と体を元に戻すべく日々頑張っているおばさんです。 その他の運営サイト:チラシデザインのコツと作り方

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